資料は更に言います。
4.放射性廃棄物の取扱い
・村内の除染によって発生した放射性物質に汚染割れた土壌等は、村内に仮置きする。
・放射性廃棄物は堅牢なコンクリート製補完容器に密閉し、周辺環境に影響を及ぼさないようにする。
・仮置き場所は、村内の国有林を選定することで調整中。
※下線、筆者。
また、現在、飯舘村では除染をして、あたかも放射線量が下がっているかのような報道がされているが、事実は違う、と長谷川さんは言います。
除染して一度下がった土地の放射線量が、その後、上がっているというのです。一ヶ月前よりも今の方が放射線量が高い、と。
資料を見せていただいて驚きました。
長泥地区放射線量は、原発事故から5ヶ月近く経った8月11日でさえ、地上1メートルで10.30マイクロシーベルト、地表近く(1センチ)で、18.5マイクロシーベルトもあります。年間では、54ミリシーベルトを超えます。
蕨平で、1メートルで10マイクロシーベルト、1センチで17.2マイクロシーベルト。長谷川さんの住んでいた前田地区で1メートルで5.27マイクロシーベルト、1センチで9.3マイクロシーベルト。
6月に訪れたときよりも上がっています。
長谷川さんのお話では、日本の専門家は山の放射能は土着すると言っているが、フランスなどの専門家は、「低い空間で浮遊する」と言っているとのこと。放射線量が上がっているのは、除染仕切れない山の放射性物質が浮遊していて、一度除染した土地を再び汚染してるとしか考えられないと長谷川さんはおっしゃいます。
国はモデル地区を選んで、400メートル四方を徹底除染すると言ってる。道路からビルから山まで、屋根を洗い、土を剥ぎ、落葉樹は落ち葉の廃棄、常緑樹は木を切り倒す、枝を払うなどして除染すると。けれども、400メートル四方の徹底除染に6億円かかるとも言っています。国は除染の総予算を3200億と言っているが、そのうちの1300億は、除染管理施設の維持費だといいます。
「こんなでたらめで現実味のない予算立てと計画を村民は信じていません。」と長谷川さんは言います。
また、長谷川さんのお知り合いで、徹底的に家の周りを除染したけれども、家の中の放射線量はほとんど変わらなかった、という悲痛な声も伺いました。「家の中なんか除染できない」。確かに、都会と違って、昔ながらの日本の家の造りは風通しよく、開放的に作られています。風の通る家は、放射性物質の通る家になってしまう…!
なんという切なさか。
長谷川さんと何人かの村民は、「村にはもう戻れないのだから、村ごと国に買い取れ、 と言え」と村の執行部に言いいましたが、「国はそんなことはしないだろう」として、村の執行部はそうした申し入れはしない方針とのこと。
「国は除染をすると言って、ある程度やったら、まだ除染が完全ではないのに、安全宣言を出して、うやむやにする気だろうと思う。」という長谷川さんの言葉が、国の示している除染計画よりもはるかにリアルに響きます。
背筋が寒くなったのは、「国も県も村の執行部も、除染を進めて、子どもたちがいつか村に戻って欲しいという前提で、子どもたちをあまり遠くにやらないようにしているようだ。」という長谷川さんの言葉でした。飯舘村の子どもたちは現在、川俣町の学校に通っていますが、大人たちがそんなことを考えているというのは、私には恐ろしいことに思えます。
ある程度年齢を重ねた人々が、家に戻りたい、ことに、自分たちにとって愛着のある、「土地」と離れたくない、と思う心は、私自身が茨城の片田舎の出身だから、まだ少しは分かるような気もするのです。けれども、これだけ放射線量の高い土地に子どもを戻すことを考えるというのは、どういうことでしょうか。
確かに、帰村しても、高齢者ばかりで子どもたちが戻ってこなければ、村はいつか廃村になるしかないでしょう。そのことを恐れて子どもたちを戻そうというのは、あまりにも”悲しく危険な郷土愛”ではないのか…。
懇談会の資料にはこうあります。
いいたて までいな復興プランのイメージ
基本方針1
生命(いのち)をまもる
・村の外でも元気に暮らす
・村に帰っても活き活きと暮らす
基本方針2
子どもたちの未来をつくる
・未来を担う子どもたちのため、共に育つ「共生」の場を充実させ、「いいたて」を支える人材を育成する。
明るい色を使ったカラーページで未来を語る言葉が、「除染をして子どもたちを村に帰す」ことを前提にして読むと背筋が寒くなるような冷たさ、怖ろしさ、切ないほどの悲しさを感じさせます…。
自分がもしも飯舘村の住人だったらどうするか、という想像力は、この場合、働かせることができないと分かりました。部外者でしかない私が、部外者の立場だからこそ、「子どもたちを村に帰さないでほしい」と、言える。もう、そこに立脚するしかないのだと、改めて思い知らされます。
長谷川さんに、「村ごと国に買い取れ」ということや、「子どもたちを絶対に村に戻さない」ということは、強く村の執行部に言い続けていただき、またアピールしていただければ、応援する人は多いと思いますと、と、穏やかに申し上げて、仮設住宅を去りました。