非戦を選ぶ演劇人の会

非戦を選ぶ演劇人の会 Blog

二十世紀という悲惨な戦争の世紀を経て、人類が見出した最大の価値あるものは「人間の命の重さ」です。
戦争は、この真理を蹂躙するもっともデメリットの高い外交手段だと言わざるを得ません。

私たち「歴史の記憶を語り続ける責務を持った」演劇人は、 爆弾を落とす側でなく、
爆撃の下に住む人々と共にあり続けることを今日、表明いたします。
そして、戦争を支持する小泉政権を批判し、不支持の行動を全国的に展開することを宣言します。

演劇は、戦争に反対します。
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「靖国神社」が私達「日本人」に投げかける物 by 野中友博
2005.11.21 Monday
author : hisen-engeki
「靖国神社」が私達「日本人」に投げかける物
〜私達は「靖国神社」とは何か知っているのか?〜 


【はじめに】

 靖国神社の問題は、昨今では主として小泉首相の参拝に対する、中韓両国の反発という形で表面化し、その最大の理由とされるのが、靖国神社に神として祀られている戦没者の中に、東京裁判で有罪なって刑死したA級戦犯が合祀されているという事が挙げられています。つまり、過去の日本の戦争に対する歴史認識が問われるという形です。
 それに対して、小泉首相は、靖国に参拝する理由として、「二度と戦争をしてはならない。今日の繁栄は戦陣に散っていった方々の尊い犠牲の上に築かれている事に思いをいたし、平和への誓いを新たにする」為に参拝しているのだと事ごとに発言しています。そして、国内には遺族会を中心に、首相には公式参拝をして欲しいと主張する人達も少なくありません。韓国や中国の靖国参拝に対する反発などに対して、内政干渉であるという発言をする人達も大勢居ます。
 もう一つ、首相が靖国神社に参拝する事は、憲法で定められている政教分離の原則に違反しているか否かという議論があります。それにまつわっては、首相の参拝方式が、神道形式に則っているかどうかというような事が、その都度報道などで取り上げられてきましたし、憲法違反を訴える訴訟も幾つかあります。

 それらの事実は、多くの日本人が報道などで目にしたり耳にしたりしている事で、殆どの人達が認識している事だと思います。国内的にも、首相の参拝には賛成、反対、憲法違反であるから反対だとか、戦没者を哀悼するのは日本人の当たり前の気持ちなのだから賛成だとか様々な議論があります。
ただ、それらの認識は、果たして正しい物なのかという疑問があります。即ち、靖国神社とは何なのか、どういう施設なのかという事が本当に分かって反対賛成を唱えているのだろうかという疑問があります。何となく、靖国神社とはこういう物だという思い込みだけで、賛成したり反対してはいないだろうかという事に立ち返って考えてみたいと思います。


【靖国神社はどうして何の為に造られたのか】

 靖国神社は1869年、明治2年に「東京招魂社」という名前で創立されました。目的は戊辰戦争で戦死した、官軍側の戦死者を祀る為でした。
 戊辰戦争というのは、鳥羽伏見の闘いに始まる、旧幕府軍、佐幕派諸藩軍と、王政復古による新政府軍、倒幕軍、つまり朝廷軍によって闘われた内戦です。ここで言う官軍とは天皇を頂点に頂く新政府軍、朝廷軍の事で、旧幕府側に立って闘った人々は賊軍という事になります。この、官軍側の戦死者を祀る為に作られたのが靖国神社の前身にあたる東京招魂社です。
 つまり、靖国神社は、そもそも、戦争によって亡くなった人達全般を広く慰霊する為に作られた施設では無いと云う事です。新政府、つまり明治政府、もっと言えば先の大戦までの政体であった大日本帝国という国家の国体(近代天皇制)の為に戦って戦死した兵士、軍人、軍属を慰霊する為の施設だという事です。当然ですが彰義隊や白虎隊など、賊軍側に立った戦死者は誰も祀られていません。それどころか、一時はその供養すら許されませんでした。

 やがて1873年、明治6年に徴兵令が施行されます。官軍であった朝廷軍は新政府の政府軍としての形を整えていきます。この過程で行われた事は、これまで武士階級という戦闘の専門職がいた軍事制度から、広く国民全体を兵士として徴兵する近代国家、近代戦争の為の軍隊の形が作られていく事です。戦闘の専門職であった武士階級は全て征夷大将軍、徳川幕府に使える臣下でしたが、国民の全てが朝廷、つまり天皇の為に戦う兵士になるという形で軍事組織の変革が進められたという事です。

 そのような軍組織の変革が進められる中で1877年、明治10年に起こったのが、西南戦争です。今度は、そうした新軍事制度の改革が進む中で、不平分子となった旧武士階級と新政府軍との戦いになりました。西南戦争は保守的不平士族による最大最後の反政府反乱と言われています。この内戦で、士族側、つまり賊軍の旗印となったのは西郷隆盛です。西南戦争の鎮圧、終結後、官軍側の戦死者は、やはり東京招魂社に神として祀られましたが、賊軍側の戦死者、自刃者は西郷隆盛をはじめとして、誰一人祀られませんでした。
 そして、二年後の1789年、明治12年に東京招魂社は靖国神社と改称されます。ここまでが現在の靖国神社の出発点だと言えると思います。

 西郷隆盛と言えば、幕末から明治維新にかけて重要な役割を果たした政治家の一人です。靖国神社には、近代戦争の戦死者の他に、吉田松陰や坂本龍馬などが維新の忠臣として祀られていますが、西郷はそれらの合祀者の中には入っておらず、今も本殿には祀られていません。それは西郷が、西南戦争で反朝廷側、反政府側に立ったからです。
 現在の靖国神社には境内の端に「鎮霊社」という小さな祠があって、西郷や白虎隊の隊員、そして言によれば世界中の全ての戦没者を祀っているという事ですが、その区別がどのようにされているかについては公にされていません。
 靖国神社が、近代天皇制国家である大日本帝国という国家にの為に戦死した人間、或いはその国家の為に役に立った、功績のあった人間を神として祀る為に作られ、現在でも基本的にその理念に基づいて祭祀を行っているという事は明らかだと思います。一般論として戦争の犠牲を尊い物だとして、それらの人々を慰霊し、平和を祈念する為にあるのだというのならば、西郷隆盛をはじめ、かつての内戦で散っていった賊軍側の兵士達も本殿に祀られて然るべきだし、広島、長崎の原爆被爆者をはじめとする空襲等の戦災死した民間人も祀られて良いはずです。それが世界平和を祈念しているのだと言うのならば、世界の全ての戦死者、戦争被害者、戦災死者が同格の神として祀られなければなりませんが、そのようにはなっていません。
 ですから、少なくとも、靖国神社は日本という国の為に戦死した人を神として祀る為の施設であると言って良いと思います。そして、この「日本という国」、「国」とは何かという事の意味も考えなければなりませんが、これはまた後に振り返りたいと思います。


【神道と国家神道と現在の靖国神社】

 首相の靖国参拝で問題になる事の一つ、憲法に定められた政教分離の問題について考える上で、宗教施設としての靖国神社を考えてみたいと思います。度々、問題になるこの件で、首相の参拝形式が神道の作法に則った物であるかどうかというのが良く問題にされています。ですので、神道という古来から宗教と、日本の近代化に於いて作られた国家神道という制度、そして現在の靖国神社までの流れを簡単に振り返ってみようと思います。

 神道という言葉は、そもそも日本に仏教が伝来した頃に、仏教に対して日本古来からの信仰をどのように言うかという事で発明された言葉です。ですから仏教伝来以前には神道という言葉はありませんでした。
 私は世界各地の信仰や神話を研究する事が好きなので、色々な信仰と比較して思うのですが、神道という物は、他の宗教に比べると、随分アバウトで柔軟な歴史を辿ってきた宗教だと思っています。ユダヤ教とそこから発生したキリスト教やイスラム教は、唯一人の神としての唯一神を信仰し、神との契約という概念に基づいて、厳しい戒律を持っています。また、ヒンズー教やバラモン教から発展した仏教は、独自の宇宙観に基づく道徳律を持っています。世界三大宗教というとキリスト教、イスラム教、仏教の事をさしますが、これらの宗教に比べると、神道には明確な戒律や教義などが無いように思えます。イエスの言葉、ムハマンドの言葉、釈迦の言葉などが、それらの信徒達にとって、人生をどう生きるのかの指針になり得ているのに、神道にはそのような物も無いように思えます。つまり、神道というのは宗教であって宗教でないような不思議な信仰と習慣なのです。これはまたあとで振り返ります。

 私は、史実として記されている日本で最初の宗教的なクライシスは、六世紀に蘇我馬子と物部守屋の間に起こった崇仏論争だと思います。正史に書かれていない歴史には、天皇家の信仰する天津神が国津神の上位に立つという信仰対立があったと思いますが、一応、正史上に書かれた信仰を巡る武力対立は、蘇我氏と物部氏による闘いだと言って良いでしょう。この時は、官軍、賊軍という言い方をするなら、聖徳太子をはじめとした皇子達を擁立して闘った崇仏派の蘇我氏が官軍、神職を司ってきた拝仏派の物部氏が賊軍という事になると思います。明治維新の王政復古で、廃仏毀釈と言う事が天皇を玉と担いで行われた事を考えると、なんだか皮肉な話ですが、とにかく、崇仏派の蘇我氏の勝利によって、仏教は急速に全国に広まっていきます。今では、天皇家の祭祀、冠婚葬祭などは全て神道形式ですから、天皇家=神道というイメージもありますが、歴史上、仏教に帰依した天皇や、仏教を保護して普及に努めた天皇は数多くいます。
 何しろ、仏教の普及に伴って、日本人の宗教観、死生観は神と仏が渾然一体となっていきます。この辺りの経緯は、宗教史として語っていくともの凄く面白いのですが、同時にもの凄く長くなってしまいますので、とにかく、奈良時代を起点にして明治維新まで、日本には神仏習合という宗教的な状態が長く続いたのだという事を押さえて頂きたいと思います。日本古来の神様を権現様として祀る神宮寺や、仏を神として祀る八幡宮などが数多く建てられたのです。
 神道について歴史的に振り返ると、奈良時代には「古事記」と「日本書紀」の編纂という事があります。乱暴な言い方をすると「古事記」は神話の本で、「日本書紀」は歴史の本だと言えると思うのですが、この二書は両方とも、人間の歴史が始まる以前の神代記から始まっていて、その神話的歴史観は共通していますので、民俗学、歴史学、宗教学などでは、これをまとめて「記紀神話」と呼んでいます。
 「記紀神話」がどうして編纂されたのかというと、天皇を中心とした中央集権国家を成立させていく過程で、日本各地の諸豪族に伝わっている神話を一つに纏めて、天皇権力の霊的な正当性と権威付けをする為だったと言って良いと思います。記紀が編纂されるまでは、各地の豪族や権力者は、それぞれに何々の神の子孫だというような、それぞれの神話的な裏付けや出自を語り継いでいたと思われます。それらの神々の中で、国産みをした伊弉諾尊と伊弉冉尊の直系である天照大神を最高神とし、その子孫である天皇家が日の本の国を統治する事が正統であるという権威付けと理由付けです。そして、この記紀神話が、明治維新後に、国家統合の理念と象徴としての国家神道の背骨となり、学校で教えられる日本の歴史、即ち国史の教科書を記紀神話の国産みや天孫降臨、神武天皇の東征などからはじめるという教育現場での国家統一への施政として用いられていきます。

 奈良時代から千数百年に渡って延々と続いてきた神仏集合の時代は、明治維新の神仏分離令によって終わりを告げます。それは、先に述べた記紀神話に於ける天皇制の正当性を国家統合の精神とする為でした。明治政府は王政復古と祭政一致を国家統合の理念とした訳です。
 国家神道の始まりです。
 神仏分離令は廃仏毀釈運動として、まず、神社の中に祀られた仏像を撤去したり破壊する事や、神社の中で僧侶が読経したり説法したりする事を禁じ、僧侶や別当を神道施設としての神社から追放するという形で始まりました。
やがて、国家神道を国民統合の理念として用いてきた明治政府は、神社を国家の宗祀として、仏教やキリスト教などの一般の宗教とは別格扱いして内務省の管轄としました。神道は、宗教ではなくて、宗教を越えた民族の伝統精神の根幹として位置づけたのです。この考え方は、帝国憲法や教育勅語の精神と相俟って、国民に深く浸透していく事になりますが、神道や神社が宗教を越えた概念であるという無意識の習慣は、仏教やキリスト教などの個人の信仰を問わず、地域が祭礼への寄進を強いるというような現象として今も生きていると思います。
 そして、国家は、全国の神社を天皇家の祖神である天照大神を祀る伊勢神宮を最高位として頂点に置き、全国の神社を官社(官幣社、国弊社)と諸社(府県社、郷社、村社、無格社)に分け、天照大神と天皇家に近い祭神からランク付けをしました。近代天皇制と国家神道とは、要するに、その祭政一致の体制の中で、政治的にも祭祀的にも、その頂点に現人神である天皇を置くと言うことで成立していますから、天皇に近いところからランクが高くなると言うのは当然です。ちなみに、伊勢神宮は現在の宗教法人神社本庁の中でも本宗とされています。
 靖国神社は、このランクの中で「別格官幣社」という名で格付けされていました。何故「別格」と付くのかというと、管轄がその他の神社のような内務省ではなくて、陸軍省と海軍省だったことです。
 つまり、戦前の靖国神社とは、まぎれもない国家機関であり、公式の国家の慰霊施設とでも言うような物でした。靖国に合祀される英霊の名簿、つまり誰が祀られるのかという事は、陸海軍を統括していた陸軍省と海軍省によって定められていた訳です。国の為に闘って死に、靖国神社に祀られる事が名誉であるという考え方は、教育勅語や軍人勅諭、そして戦陣訓などで、徹底的に教育されました。つまり、「国家に命を捧げる事こそ最高の名誉である」という信念を国民に植えつける為の装置として国家神道と靖国神社は機能していました。
 この国家神道の出現は、宗教史的な観点からすると、千何百年ぶりに起こった宗教史上の大事件であったと言えると思います。神仏習合という形で庶民の中に根付いていた信仰を、政府の意向で教育によって根底的に変えてしまったと言えるからです。

 軍事国家としての近代日本、大日本帝国の精神的な統合の象徴としての国家神道は、第二次世界大戦の敗戦によって決定的な破局を迎えます。GHQによる「神道指令」が発令されたからです。
 「神道指令」は、正式には「国家神道、神社神道に対する政府の保証、支援、保全、監督並びに弘布の廃止に関する件」と言い、「国教分離令」とも言います。政治と神道の分離、そして諸宗教の信仰の自由等を指示した物です。
 アメリカ合衆国政府は、終戦前から日本の占領政策について研究し、国家と神道を切り離さねばならないという事は大前提として考えてきたと思います。そりゃあそうでしょう。天皇陛下万歳と叫んで特攻してきたり玉砕したりという、今で言うとイスラム原理主義者の自爆テロのような戦法を近代戦争の中で実行してくる国家の軍隊には、ある種の狂信的な迷妄、もしくは洗脳の背景が無ければ説明が付かないと合理主義者達は考えるだろうからです。
 GHQは、一時は神道その物の禁止、神社全ての廃止という事まで検討したようですが、結局、天皇制が廃止されなかったのと同様に、一宗教としての神道の存続は許しました。とにかく、これまで祭政一致の国家体制の象徴として機能してきた神道は、その特別な位置づけから、他のキリスト教諸派や仏教諸派と同じく、信仰の自由の対象としての一宗教になった訳です。
 そんな中で、一般の神社神道は、宗教法人令によって宗教法人となりましたが、全神社の99%が「宗教法人・神社本庁」に結集しました。今現在、私達が「神道」や「神社」という言葉で意識する神道や神社とは、この「宗教法人・神社本庁」に包括されている神道であり神社であるといえます。僅かな神社は独立法人の道を歩みましたが、実質的な靖国神社の分社として戦前の神祇院に統括されていた各地の護国神社も、神社本庁の被包括団体となりました。「宗教法人・神社本庁」の設立は、1946年2月3日です。

 ですが、靖国神社は、神社本庁には加わらず、単独の宗教法人となる道を選択しました。「宗教法人・靖国神社」がその登記を完了したのは1946年9月の事でした。

 つまり現在、靖国神社は、法的には全国にある殆どの神社神道とは別の宗教法人であり、別の宗教団体なのです。同じキリストに対する信仰でも、カトリック教会と合同結婚式で有名な統一協会が別の宗教であり、仏陀に帰依すると言っても、一般の仏教諸派とオウム真理教が別の宗教であるというのと同じ意味で全く別物であると考えた方が良いと思います。おそらく、この事は大半の日本人が意識していない事ではないでしょうか?

 例えば、2004年の年頭に靖国神社に参拝した時、小泉首相は「初詣だ」と言いました。歴代首相は伊勢神宮に参拝するのが通例といえますが、伊勢神宮は、これまで申し上げてきたように宗教法人・神社本庁の本宗であり、靖国神社は単独の宗教法人・靖国神社です。これを「日本人の習慣としての初詣」として終わらせて良い物でしょうか? 私にはそれ程簡単な問題だとは思えません。

 私見ですが、私個人は首相や国会議員の伊勢神宮の参拝だって不愉快に思っていますし反対です。伊勢神宮は天皇家の祖神という事になっている天照大神を祀っていますし、宗教法人・神社本庁は、「紀元節の復活」とか「不敬罪の復活」についての働きかけを度々議会や政府与党に働きかけています。要するに、神社本庁だって、靖国神社とは違いますが、例えば森喜朗前首相が「日本の国、まさに天皇を中心とした神の国」と発言したような戦前の国体、国家体制を復活させたいのだし、国家神道のような神道の国教化の復活がしたいのです。少なくとも、神道を信仰の自由の範疇を超えた超宗教に戻したいのです。この話は、また後でしたいと思います。

 ともかく、戦前の靖国神社とは、国家神道という祭政一致の国家体制の中で、国家によって運営されていた施設であったが、戦後の、現在の靖国神社は、他宗教と同じ一宗教法人の宗教施設でしかなく、それも、その他の神社本庁に包括される神社神道、一般の神社とは別個の宗教組織であると言う事は確認しておきたいと思います。
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    靖国神社の小泉首相参拝と憲法違反について
    2005.10.31 Monday
    author : member
    (以下は転載、リンクOKです。エッセイは非戦を選ぶ演劇人の会の総意ではなく、実行委員個人の責任において書かれています)

    靖国神社の小泉首相参拝と憲法違反について

     戦争では、殺す人と殺される人がいます。
     普通の社会では、殺す人が、悪いとされます。みんな、殺されるのは嫌だからです。そこにどんな殺すべき理由があっても、です。
     きちんとした理由があれば、殺人も容認される、という考え方は、とても恐ろしい考え方です。
     ユダヤ人だから殺していい。黒人だから殺していい。朝鮮人だから殺していい。イスラム信者だから殺していい。アメリカ人だから殺していい。日本人だから殺していい。貧乏人だから殺していい。金持ちだから殺していい。弱者だから殺していい。強者だから殺していい。
     理由はいくらでも言えるから、私はあらゆる殺人に反対します。
     いっこでも理由を認めちゃうと、まずいと思うからです。
     先の戦争で、日本人は、たくさん死にました。
     中国大陸や朝鮮半島やアジアの島々の人々を殺すために出かけた兵士がたくさん死にました。また、アメリカを初めとする連合軍によって、日本に残っていた兵士と、兵士というわけではないけれど、死ぬまで戦うと考えていた普通の人々と、戦争のことがよく判らないこども達と、戦争いやだなと思っていた人々もたくさん、たくさん殺されました。
     そして、日本人も多くの人を殺しました。アジアでは、無抵抗の人の首を日本刀で斬ったりしました。レイプもしました。財産も奪いました。鬼と呼ばれたりもしました。
     こうした悲惨なことを二度と起こさないようにと考えて、日本は武力による解決を一切放棄する平和憲法を選び、軍隊の保持も否定しました。どんなもっともらしい理由があろうと、権力者に「あいつらを殺せ」と命令されることを拒否し、加害者にならずに済む道を選択したのです。
     でも、靖国神社は、先の戦争を肯定しています。理由があれば、人を殺してもいいと言っています。これは憲法に違反する考え方です。
     日本の代表であり、憲法を率先して守る義務のある首相や閣僚、政治家が、戦争や人殺しを肯定する神社に行くことは、その考え方を肯定する、ということです。抗議に行くなら、判ります。でも、その考え方に抗議している姿を、見たことも、聞いたこともありません。
     問題は、私服で行くかどうかでも、記帳の際に総理大臣の名前を書くかどうかでもありません。先の戦争を肯定するのか、殺人を肯定するのか、という考え方の問題です。
     戦闘員も非戦闘員も、全ての死者を祀る慰霊碑の検討がずっとされていますが、たとえ、そうしたものであっても、戦争と殺人を、いかなる理由であろうと、永久に否定するものであって欲しいと願っています。そしてその考え方を、世界中に広めるべく、努力したいと思っています。

                            くまがいマキ
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