8月頃、松本の信州大学病院などでの甲状腺の検査を、日本チェルノブイリ連帯基金と協力して福島の子どもたちに受けてもらうことを考えていましたが、現在では、福島市内の病院でも甲状腺の検査は受けられることなどが分かり、また、「市民放射能測定所」や「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」など、独自のネットワークで健康診断の促進を図っている専門団体もあることも分かりました。
そのことを考えた場合、専門家でも医療関係者でもない私たちに何かできることがあるとすれば、これまでの支援で繋がった福島県内の方々に、その繋がりを通して、「ここに行けば健康診断が受けられる」「ここで相談をすることができる」という情報を渡すことではないかと思ったのです。
仮設住宅は全126戸、入居数81戸、居住者はすべて飯舘村の住人で、長谷川さんの住んでいらした前田地区からは54戸中21戸が入居されています。とはいえ、家族が離ればなれになっていますので、単純に戸数で「住民の約半数」とはなりません。長谷川さんのお宅でも、飯舘村では同居されていたご長男夫婦は、現在、米沢で酪農業に従事しています。それでも村の一地区がこうしてある程度まとまることができたのは、コミュニティーを分断されてはけないと、長谷川さんたちが呼びかけての結果です。
この日は、芋煮会と地元の歌手の方に歌っていただくイベントが、仮設住宅前の公民館で行われていました。
釘本さんと私は、まず、お母さん達が作って下さった芋煮をご馳走になり、周りの方と少し言葉を交わしました。その後、お母さん達に混じって、芋煮会の後かたづけなどをお手伝いしました。
その後、皆さんが歌手の方の歌を聴いている間に、「子どもの健康診断に関する情報」とした資料の準備をし、皆さんが出ていらっしゃるのをお待ちしていましたが、その間に、飯舘の社会福祉協議会の職員の方(女性お二人)がいらしたので、その方々にお声を掛け、資料をお渡ししました。お二人はかなり興味を持って資料を見てくださいました。 周りの方にも健康診断の声を掛けて欲しい旨をお願いしたところ、同じ伊達市の松川の仮設住宅にはお子さんもたくさんいらっしゃるとの情報をいただきました。そちらにもできればお声を掛けていただきたい旨をお話し、釘本さんと、次回はそちらも廻ろうと話し合いました。
また、偶然、公民館の二階に学童保育があり、そちらにも資料をお渡ししました。
イベントが終わるのを待って、自治会長さんに資料をお渡しし、お話しを致しました。
資料を渡してお話しすると、お孫さんが4人、東京に避難しているが、福島県内ではないため、福島市が行ったホールボディカウンティングも受けていないとのことで心配をしておられ、健康診断のことを積極的に聞いてこられました。そこで、現在、県内におられないお子さんやお孫さんをお持ちで、同じように心配している方々に配っていただきたいと、資料をお渡ししました。
仮設住宅で管理責任者という、住民達の相談役になっている長谷川花子さんにもお話しし、お母さん方に配っていただくようにお話ししました。
資料自体は、いくつかの団体でどのような検査をしているかということとその連絡先などをまとめたものですが、その資料を見て、個人で連絡をして健康診断をしていただければと思いますし、また、不安があるようでしたら、検診を行っている専門団体との間をつなぐことができればと思っています。
長谷川花子さんから、ちょうどその前日に、仮設に入ってから初めての、村の今後を考える大規模な懇談会が開かれたと伺い、その時の様子を長谷川健一さんから伺いました。
以下、長谷川さんのお話と、後から送っていただいた資料、「県借り上げ住宅避難者との懇談会」からの抜粋です。
会合で出た話題は、ほとんどが除染の話だったそうです。
計画は、基本的に、2年で住環境(家の周り)の除染を終わらせ、5年で農地の除染を終わらせる。森林(山)については、20年で除染をする。
懇談会の資料には、「除染推進体制」として、「国・県・村などが一体となり、村民らも参画した除線を実施」とあります。
けれども、長谷川さんの見解では、「村の6割の人間は、正直に言えば、もう村に帰ることはあきらめている」とのこと。村の執行部と村民の思いにズレがあると。
けれども資料を見るとそんなことは微塵も出ていません。
○飯舘村では福島第一原発発電事故に伴い、全村避難を余儀なくされる中、一日でも早く”ふるさと”に安心して戻ることが、村民の切なる思いである。
○早期帰村には、村全体の除染及び土壌改良が最も重要であることから、村として除染、放射性廃棄物の処理・仮置きに最大限努力し、豊かな”ふるさと”再生に向けて取り組む。
頭を抱えてしまいます。村民の中のかなりの人々が現実的に考えて、村に戻らないことを選択しようとしているにも関わらず、村に戻ることを前提にすることは、非現実的に思えてなりません。「切なる思い」というのであれば、それは「村を3月11日以前に戻して欲しい」ということでしょう。それができないと分かっている、だから、苦渋の思いで「帰ることをあきらめる」という現実的で冷静な判断を、悩んで悩んで苦しんだ末にしようとしている村人達の「切なる思い」に答えるプランなのでしょうか。最大限の努力をして、放射性廃棄物が仮置きされた村に帰ったとしても、そこは本当に、”豊かなふるさと”なのでしょうか?
長谷川さんは言います。「除染によって剥ぎ取った土を村の中に「仮置き」する、「一時的な措置だ」と言うが、村民は誰もそんなもんは信じていません。絶対に「最終処理場」として永久に村に置かれるに決まっていると思っている。考えなくたって分かっぺ。誰が飯舘の土を引き取ってくれる。ほんなこと、ありえね。どんな施設作ったって、その近くに住んだり何遍も通ったりすんのは村に帰った村民だど。」
資料は更に言います。
4.放射性廃棄物の取扱い
・村内の除染によって発生した放射性物質に汚染割れた土壌等は、村内に仮置きする。
・放射性廃棄物は堅牢なコンクリート製補完容器に密閉し、周辺環境に影響を及ぼさないようにする。
・仮置き場所は、村内の国有林を選定することで調整中。
※下線、筆者。
また、現在、飯舘村では除染をして、あたかも放射線量が下がっているかのような報道がされているが、事実は違う、と長谷川さんは言います。
除染して一度下がった土地の放射線量が、その後、上がっているというのです。一ヶ月前よりも今の方が放射線量が高い、と。
資料を見せていただいて驚きました。
長泥地区放射線量は、原発事故から5ヶ月近く経った8月11日でさえ、地上1メートルで10.30マイクロシーベルト、地表近く(1センチ)で、18.5マイクロシーベルトもあります。年間では、54ミリシーベルトを超えます。
蕨平で、1メートルで10マイクロシーベルト、1センチで17.2マイクロシーベルト。長谷川さんの住んでいた前田地区で1メートルで5.27マイクロシーベルト、1センチで9.3マイクロシーベルト。
6月に訪れたときよりも上がっています。
長谷川さんのお話では、日本の専門家は山の放射能は土着すると言っているが、フランスなどの専門家は、「低い空間で浮遊する」と言っているとのこと。放射線量が上がっているのは、除染仕切れない山の放射性物質が浮遊していて、一度除染した土地を再び汚染してるとしか考えられないと長谷川さんはおっしゃいます。
国はモデル地区を選んで、400メートル四方を徹底除染すると言ってる。道路からビルから山まで、屋根を洗い、土を剥ぎ、落葉樹は落ち葉の廃棄、常緑樹は木を切り倒す、枝を払うなどして除染すると。けれども、400メートル四方の徹底除染に6億円かかるとも言っています。国は除染の総予算を3200億と言っているが、そのうちの1300億は、除染管理施設の維持費だといいます。
「こんなでたらめで現実味のない予算立てと計画を村民は信じていません。」と長谷川さんは言います。
また、長谷川さんのお知り合いで、徹底的に家の周りを除染したけれども、家の中の放射線量はほとんど変わらなかった、という悲痛な声も伺いました。「家の中なんか除染できない」。確かに、都会と違って、昔ながらの日本の家の造りは風通しよく、開放的に作られています。風の通る家は、放射性物質の通る家になってしまう…!
なんという切なさか。
長谷川さんと何人かの村民は、「村にはもう戻れないのだから、村ごと国に買い取れ、 と言え」と村の執行部に言いいましたが、「国はそんなことはしないだろう」として、村の執行部はそうした申し入れはしない方針とのこと。
「国は除染をすると言って、ある程度やったら、まだ除染が完全ではないのに、安全宣言を出して、うやむやにする気だろうと思う。」という長谷川さんの言葉が、国の示している除染計画よりもはるかにリアルに響きます。
背筋が寒くなったのは、「国も県も村の執行部も、除染を進めて、子どもたちがいつか村に戻って欲しいという前提で、子どもたちをあまり遠くにやらないようにしているようだ。」という長谷川さんの言葉でした。飯舘村の子どもたちは現在、川俣町の学校に通っていますが、大人たちがそんなことを考えているというのは、私には恐ろしいことに思えます。
ある程度年齢を重ねた人々が、家に戻りたい、ことに、自分たちにとって愛着のある、「土地」と離れたくない、と思う心は、私自身が茨城の片田舎の出身だから、まだ少しは分かるような気もするのです。けれども、これだけ放射線量の高い土地に子どもを戻すことを考えるというのは、どういうことでしょうか。
確かに、帰村しても、高齢者ばかりで子どもたちが戻ってこなければ、村はいつか廃村になるしかないでしょう。そのことを恐れて子どもたちを戻そうというのは、あまりにも”悲しく危険な郷土愛”ではないのか…。
懇談会の資料にはこうあります。
いいたて までいな復興プランのイメージ
基本方針1
生命(いのち)をまもる
・村の外でも元気に暮らす
・村に帰っても活き活きと暮らす
基本方針2
子どもたちの未来をつくる
・未来を担う子どもたちのため、共に育つ「共生」の場を充実させ、「いいたて」を支える人材を育成する。
明るい色を使ったカラーページで未来を語る言葉が、「除染をして子どもたちを村に帰す」ことを前提にして読むと背筋が寒くなるような冷たさ、怖ろしさ、切ないほどの悲しさを感じさせます…。
自分がもしも飯舘村の住人だったらどうするか、という想像力は、この場合、働かせることができないと分かりました。部外者でしかない私が、部外者の立場だからこそ、「子どもたちを村に帰さないでほしい」と、言える。もう、そこに立脚するしかないのだと、改めて思い知らされます。
長谷川さんに、「村ごと国に買い取れ」ということや、「子どもたちを絶対に村に戻さない」ということは、強く村の執行部に言い続けていただき、またアピールしていただければ、応援する人は多いと思いますと、と、穏やかに申し上げて、仮設住宅を去りました。